大阪地方裁判所 平成5年(ワ)231号 判決 1997年10月03日
主文
一 被告は、原告らに対し、それぞれ金二七二九万一九六二円及び右各金員に対する昭和六三年一一月二五日から右各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用はこれを三分し、その二を被告の負担とし、その余は原告らの負担とする。
四 この判決は、主文第一項に限り仮に執行することができる。
理由
一 請求原因1ないし5(当事者、本件診療契約の締結と原告花子の被告病院への通院、原告花子の入院から亡春子分娩までの経過及び亡春子の出生後の経過、志村医師の過失、被告の責任)について
1 請求原因1の事実、原告太郎と原告花子が昭和五四年一一月二三日に婚姻届出を了した夫婦であること、原告花子が不妊治療の目的で高槻市高槻町所在の市川婦人科クリニックに通院して妊娠するにいたったこと、原告花子が昭和六三年五月ころからNICU(新生児集中強化医療施設)のある被告病院に通院するようになり、同病院に副院長として勤務する志村医師が担当医として原告花子の診療に当たったこと、原告らが、原告花子が被告病院において診療を受けるに際して、被告との間に、本件診療契約を締結したこと、請求原因2(二)の事実、原告花子が昭和六三年一一月二三日被告病院に入院したこと、被告病院の診療録、看護記録の記載に基づく原告花子の分娩経過が請求原因3(一)の(1)及び(2)記載のとおりであったこと、亡春子がアプガー指数一点の重度仮死状態で出生し、被告病院のNICUに移送されたこと、亡春子に重度の後遺障害が残ったこと、亡春子が被告病院に入院した回数、期間が請求原因3(三)記載のとおりであること、亡春子が平成四年一月一五日窒息により死亡したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
2 右争いのない事実に《証拠略》を総合すると、次の事実が認められ(る。)《証拠判断略》
(一) 原告太郎及び原告花子(昭和三一年三月一五日生)は、亡春子(昭和六三年一一月二四日生)の父母であり、被告は、肩書住所地等において産婦人科を含む総合病院を開設している医療法人であるところ、大阪府高槻市《番地略》において、被告病院を開設している。
(二) 原告太郎と原告花子は、昭和五四年一一月二三日に婚姻届出を了した夫婦であるところ、子供ができなかったため、原告花子は、不妊治療の目的で数件の病院に通院し、最後に通院した高槻市高槻町所在の市川婦人科クリニックで排卵障害に対する治療を受けた結果、同医院に通院四年目の昭和六三年二月(婚姻して九年目)にようやく妊娠するに至った。出産予定日は昭和六三年一一月一一日と告げられたが、市川婦人科クリニックには産科設備がないため、原告らは、通勤の便と万一の場合を考え、NICU(新生児集中強化医療施設)がある被告病院で出産することに決め、原告花子は、昭和六三年五月一七日(妊娠一四週)から、被告病院産婦人科に検診のため通院することとなり、同病院に副院長として勤務する志村医師が担当医として原告花子の診療に当たることとなった。原告らは、原告花子が被告病院において診療を受けるに際して、被告との間に、原告花子の出産及びこれに伴う疾病の治療を内容とする本件診療契約を締結した。被告病院に通院中の原告花子の妊娠経過は、特に異常を認めず、妊娠三八週以後、胎盤機能のチェックにも異常は認められなかったし、骨盤X線によっても児頭骨盤不均衡の異常は認められず、原告花子は、志村医師から、「自然分娩で大丈夫。」と告げられていた。なお、原告花子は、軟産道強靭症と診断され(軟産道強靭症とは、子宮下部、子宮頚部などの伸展性・弾力性の低下をいう。)、昭和六三年一〇月二六日から頚管軟化剤であるマイリスの投与を受けていた。
(三) 原告花子は、昭和六三年一一月二三日午前七時ころ少量の破水があり、さらに、同日午前九時ころ大量の破水があり、同日被告病院に入院した。右入院後の原告花子の分娩経過は、次のとおりである。
(1) 昭和六三年一一月二三日
一〇時一五分 前記破水により入院
一〇時三七分 子宮口一センチ開大
羊水漏出(+)
一三時三〇分 羊水漏出
一四時一〇分 体温三七・九度
一九時 陣痛五~七分毎 羊水少量漏出
二〇時三五分 体温三八・八度
二二時三〇分 体温三八・八度 陣痛不規則
二三時四〇分 体温三八・一度
(2) 同年一一月二四日
三時 体温三六・三度 五分~一〇分毎に一〇秒程度の腹痛
六時 陣痛五分毎弱 一F(指)通ず
羊水混濁(+)
陣痛促進剤プロスタグランディンE一錠内服
七時 プロスタグランディンE一錠内服
七時二〇分 二F(指)通ず
八時 プロスタグランディンE一錠内服
九時 プロスタグランディンE一錠内服
九時一五分 陣痛室へ シントシノン(オキシトシン)点滴開始
九時三〇分 陣痛一分~一分三〇秒間欠
一〇時一〇分 子宮口五センチ開大
一〇時三〇分 子宮口七センチ開大
一〇時四〇分 子宮口九センチ開大
一〇時四五分 吸引数回 子宮口全開大
一一時 側切開 吸引 児頭排臨するも娩出せず
一一時二〇分 手術室へ
一一時四八分ころ 帝王切開により亡春子娩出
(四) 亡春子は、アプガー指数一点の重度仮死状態で出生し、出生直後自発呼吸がまったくなく、直ちに気管内挿管により蘇生術が行われたが、気管内より胎便汚染様の分泌物が大量に吸引され、NICUに搬送入院となった。亡春子は、<1>低酸素性虚血脳症(重症)、<2>胎便吸引症候群、<3>新生児痙攣、<4>脳障害、重度の中枢性協調障害と診断された。
(五) 亡春子は、その後入退院を繰り返し、平成二年一二月一日脳性麻痺(四肢麻痺)で障害一級と認定されたが、その出生後の入退院の状況は、次のとおりである。
(1) 昭和六三年一月一六日から平成元年二月七日まで 酸素吸入等の治療のため被告病院に入院
(2) 平成二年一月一六日から同年一月一九日まで 低体温等のため被告病院に入院
(3) 平成二年二月一日から同年二月三日まで (2)に同じ
(4) 平成二年三月二〇日から同年三月二四日まで (2)に同じ
(5) 平成三年二月一〇日から同年二月一六日まで (2)に同じ
(6) 平成三年三月一六日から同年三月二六日まで ヘルペス治療のため被告病院に入院
(7) 平成四年一月一四日から同年一月五日まで 後記(六)の理由により聖隷三方病院に入院
(六) 原告らは、平成四年一月一〇日から同年一月一三日までの間、亡春子の世話を静岡の両親に頼み、東京での人間能力開発研究所の講義を受講し、右講義終了後の帰阪途中、亡春子とともに浜名湖荘に宿泊していたところ、亡春子は、食事を終え入浴後様子がおかしくなり、息が停止して仮死状態となったので、救急車で前記聖隷三方病院に運ばれ、蘇生したが、翌一五日朝状態が急変し、同日午前八時三九分、窒息により死亡した。亡春子は、出生時の低酸素性虚血脳症の後遺障害の結果、四肢の筋肉の神経支配以外に咽頭、咽頭部の筋肉に対する神経支配にも異常があり、これらの部分の筋肉の収縮に正常な協調性を欠くために、飲み込んだ食物の一が気管に入る誤嚥の窒息により死亡したものであり、亡春子の死亡は、出生時の重度後遺障害を原因とするものである。
3 亡春子の出生時における重度後遺障害の原因
(一) 前記2で認定の事実及び《証拠略》を総合すると、次の事実が認められる。
(1) 志村医師は、一一月二四日九時に原告花子にプロスタグランディンE一錠を投与した後、同日九時一五分にオキシトシンの点滴、すなわちオキシトシンの一〇単位を五〇〇ミリリットルの溶液に溶解して、毎分一〇滴による投与を開始しているところ、原告花子が最後に内服したプロスタグランディンE一錠の効果は約一時間は持続するから、最後のプロスタグランディンE一錠を内服して一時間以内にオキシトシンの投与を開始すれば、しばらくの間は両者の作用が相乗的に加わり、過強陣痛を起こす可能性があるとされている。
(2) 分娩監視装置の重要な役割の一つは胎児心拍数の連続監視であり、超音波ドップラー法を用いて胎児心臓の動きを超音波の周波数化として捉え、一分間の胎児心拍数を容易に判定し、それを記録することを可能にするところ、分娩時は、特に子宮収縮(陣痛)と関連した心拍数の変化が胎児の予後を示すものとして極めて重要な意義を有する。すなわち、出産時の子宮は強い収縮を反復し、子宮収縮の極期には子宮血管を経て胎盤に流入する産婦の血液量が減少し、胎盤での酸素交換が一時的に障害され、胎児の酸素不足がおこるが、正常範囲内にとどまれば中枢神経系などの組織に非可逆的な変化を起こすことは稀であるけれども、胎児の低酸素状態が重症になると、子宮収縮の極期よりも遅れて、子宮が弛緩したころに胎児の心拍数が徐脈を呈する遅発一過性徐脈が出現するようになる。このタイプの徐脈は、<1>胎盤機能不全や遷延分娩の結果、胎児の予備能が減少した場合、<2>子宮収縮剤過剰投与による強い収縮(過強陣痛)に基づく子宮・胎盤血流低下などの場合に起こりやすく、胎児低酸素症すなわち胎児仮死の一徴候として重要症状視される。
そして、遅発一過性徐脈が一五分以上続いた場合には、胎児は重症の仮死に陥っていると判断される。なお、子宮収縮によって臍帯が一時的に圧迫されて臍胎帯血流が障害されても徐脈が起こるが、これは変動一過性徐脈と呼ばれ、危険な場合と一時的な減少でそれほど危険ではない場合とがある。
さらに、胎児の基準心拍数曲線の基線は一定の細変動を示し、ギザギザの曲線が得られる(これを基線細変動という。)が、これは、胎児の中枢神経に頻脈と徐脈を起こす二つの中枢があり、それが互いに拮抗することによって心拍数の細かい変動を起こすと考えられているところ、かかる働きをする胎児の中枢が、低酸素状態(胎児仮死)によって障害を受けると、この細変動が減少又は消失して滑らかな曲線となる。すなわち、細変動の減少・消失も胎児仮死の重要な徴候であり、遅発一過性徐脈との合併は重症である。
(3) 子宮収縮剤を分娩監視装置で測定するには、内測法と外測法とがあり、前者は正確な内圧の絶対値を測定できるという利点があるが、手技が面倒で感染の可能性もあるので、一般の病院では行われていない。後者は、腹壁の上にトランスデューサを置き、子宮が収縮すると子宮壁が硬くなり、同時に子も少し位置を変えるので、その変化をトランスデューサから出ている突起に対する圧力の変化として検出するもので、内圧測定法のような子宮の収縮力の絶対値は分からず、相対的な強さを知るのみである。
(4) 本件の分娩監視装置記録を検討すると、二五の1の記録紙の一一月二五日の午前九時二〇分から記録されている陣痛曲線について見ると、一〇分間に五回の心痛発作があり、記録上の二回目に続く四つの子宮収縮曲線は持続が一分、間欠が一~一分三〇秒と持続が長く、間欠は短く(陣痛の持続時間は五分の一法で計測)、しかも、三、四、五番目の曲線の間では弛緩時の基線がやや上昇していることを示している。すなわち、二五の1の記録紙において二番目から五番目までの陣痛曲線の間(午前九時二一分~二六分)に陣痛が頻発して過強陣痛をきたし、トーヌスも上昇していることを裏付ける事実として、約五分間にわたって胎児心拍数が毎分一二〇から九〇(最低八〇)に低下する徐脈の発作を起こしており、この徐脈の性質は、そのパターンから過強陣痛による持続性徐脈(これも胎児仮死の徴候の一つである。)に相当する。そして、胎児心拍数の持続性徐脈は午前九時二八分ころには回復したが、その後は全記録を通じて二六の1の記録紙の最後まで、約一時間一五分にわたって極めて典型的な遅発一過性徐脈を規則的に反復している。この遅発一過性徐脈の様相は、二五の1の記録紙の後半、すなわち午前九時四〇分から一〇時一〇分ころまでは心拍数が一七〇から九〇の範囲を上下しており、二五の2の記録紙では一七〇から一一〇当たりを上下しており、徐脈の最低(底)点は陣痛の最高(山)よりも八〇秒から一分遅れて出現している。さらに、基準心拍数の細変動が、二五の1の記録紙の最初から減少して、ギザギザの少ない滑らかな曲線を呈している。
(5) ところで、一般に遅発一過性徐脈の判定基準は、<1>一過性徐脈の最低点は陣痛の最高点よりも四五~六〇秒程度遅れる、<2>一過性徐脈の基線への復帰は子宮収縮の終了よりも遅れる、<3>遅発一過性徐脈のパターンは互いに類似していることが多いが、異なることもある、<4>遅発一過性徐脈の深さは五~一〇拍以上あれば、その深さは問わない、<5>胎児心拍数基線の位置は問わない、<6>胎児心拍数曲線は急峻か緩徐かは問わない、とされているところ、本件の胎児心拍数曲線は、右判定基準からみて明らかな遅発一過性徐脈の反復であり、午前九時二三分ころに起きた徐脈とそれに続いて遅発一過性徐脈が反復されている時点、すなわち午前九時三〇分から四〇分の間には既に重症胎児仮死と診断すべきであり、さらに、羊水混濁と基線細変動の減少を伴っていることに徴すると、二五の1の記録紙の終わりの時点で、亡春子は既に重症の胎児仮死の所見が現れていると判定される。なお、右判定基準によれば、胎児心拍数の基線及び一過性徐脈の最低点が一二〇~一六〇の正常範囲内にあっても、遅発一過性徐脈であり胎児仮死と判断される。
(6) 亡春子は、出生時、胎児が子宮内で低酸素状態に陥った際に起こる一連の反射機序によるものであるところの胎便吸引症候群を合併していたものであり、かかる事実からしても、胎児の低酸素症の存在は明らかである。
(7) 既に認定したように原告花子には、予定日超過や妊娠中毒症などによる胎盤機能不全の状態にはなく、一一月二三日一三時三〇分に施行したノンストレステストの記録によっても、陣痛開始まで胎児仮死の徴候はまったくなかった。
(二) 右(一)で認定した各事実を総合すると、本件の分娩監視装置記録の遅発一過性徐脈は明らかに胎児仮死を示しており、かかる胎児仮死は、プロスタグランディンEの内服に引き続いて行われたオキシトシン点滴という子宮収縮剤による過強陣痛に起因するものと認めるのが相当である。
(三) 被告は我妻鑑定を信用し難いと主張するが、(1)先ず、被告が証拠と提出する米国の調査及び研究に関する様々な文献のみから、最近では、本件で問題とされた遅発一過性徐脈と細変動の消失(減少)と胎児仮死や脳障害との関係が原則的に否定されているとまで断言することは無理があり、右文献によっても、脳障害が分娩経過で発生する余地が全く否定されているわけではないことが認められるし、FIOGニュース翻訳版(分娩管理・現行の分娩監視に関する勧告と新開発分野の展望)を掲載した乙六六によっても、「濃い胎便が認められた場合には、徐脈や低酸素血症、アシドーシスが起こっている可能性が高いので、分娩中厳重監視の適用となる。重症胎児仮死があれば、子宮内あるいは出生後の第一呼吸で胎便を吸い込み、胎便吸引症候群を発症する危険が高まる。」旨を指摘しており、まさに本件における我妻鑑定の正さを裏付けているものというべきである。(2)また、過強陣痛の判断基準については、我妻鑑定が述べるように、外計測による陣痛曲線は、相対的なものにとどまるから、過強陣痛が存在したことを陣痛曲線の高さのみから判定することには無理があり、胎児心拍数との相関関係で捉えるしかないというべきであるし、本件の分娩監視装置記録における遅発一過性徐脈の判定については、証拠(甲四、乙五〇)によってもその判定基準を満たすものと認められるから、我妻鑑定が引用した遅発一過性徐脈の判断基準を非難するのは理由がない。
また、乙四、五八及び六二の存在もなんら我妻鑑定の信用性を左右するに足りない。
以上のとおり、被告の主張は採用することができず、他に前記(二)の認定説示を左右するに足りる証拠はない。
4 志村医師の過失
前記3(一)(二)で認定説示したところに我妻鑑定を総合すると、本件のように遅発一過性徐脈を認めた場合には、速やかに、(1)子宮収縮剤投与中であれば、直ちに中止し、中止しても遅発一過性徐脈が軽減、消失しない場合には子宮収縮抑制剤を投与し、収縮の軽減を図る、(2)母体に酸素吸入を行う、(3)母体を左側を下にした横臥位、座位などの体位変換を試みる、(4)母体に五パーセント又は二〇パーセント葡萄糖液を静脈内投与する、(5)母体に重炭酸ナトリウムを静脈内投与する、等の措置を取らなければならず、かかる措置によって過強陣痛が緩解し、遅発一過性徐脈が消失するかどうかを厳重に監視し、その時点で経膣分娩が可能な程度に児頭が下降していれば、吸引あるいは鉗子分娩による急速遂娩を行い、児頭が下降していなければ、速やかに帝王切開により胎児を娩出させるべきであるところ、本件においては、一一月二四日午前一〇時一〇分にようやく子宮口が五センチまで開大したことが認められるから、志村医師としては、遅くとも、胎児が重症の胎児仮死に陥っていた午前九時四〇分ころまでに至急に帝王切開手術を行い、亡春子を娩出させるべき注意義務があり、そうすれば、亡春子の低酸素性虚血脳症の発症はこれを防止できたか、その程度を軽減することができたものと認められる。
しかるに、既に認定のとおり、志村医師は、一一月二四日午前九時二八分ころから規則正しく反復した明らかな遅発一過性徐脈の発現を見落とし、なんらの措置を講じなかったため、亡春子に低酸素性虚血脳症による重篤な後遺障害を招来させた過失があるというべきである。
5 被告の責任
志村医師は、被告病院に勤務する医師であり、志村医師の前記行為は、被告病院を経営する被告の事業の執行又は本件診療契約に基づく被告の診療義務の履行補助者として行われたものであることが認められるから(かかる事実は争いがない。)、被告は、原告らが被った後記二記載の損害について、使用者責任(又は債務不履行責任)を負うものというべきである。
二 請求原因6(損害)について
(一) 治療費関係費(昭和六三年一一月二四日から平成四年一月一五日まで)
合計金五三三万一一〇〇円
(1) 治療費 〇円
請求原因6(一)の(1)の<1>ないし<9>の損害については、いずれもこれを認めるに足りる証拠はない。
(2) 入院交通費 〇円
これを認めるに足りる証拠はない。
(3) 付添看護費
金五一六万六〇〇〇円
既に認定したとおり、亡春子は、昭和六三年一一月二四日出生後、重篤な後遺障害が残ったまま平成四年一月一五日死亡したものであり、《証拠略》によると、亡春子には入通院中はもとより、自宅療養中も含め全生存期間である一一四八日間にわたり、すべて付添看護が必要であったことが認められるところ、右一一四八日間における付添看護費は、一日当たり金四五〇〇円が相当である。
四五〇〇円×一一四八日=五一六万六〇〇〇円
(4) 入院雑費 金一六万五一〇〇円
亡春子が被告病院に一二五日間入院したことは当事者間に争いがなく、亡春子がさらに聖隷三方病院に二日間入院したことは既に認定したとおりであるところ、右入院期間中の入院雑費は一日当たり金一三〇〇円が相当である。
一三〇〇円×一二七日=一六万五一〇〇円
(5) 弁論の全趣旨によると、原告らは、右(3)(4)の治療関係費合計金五三三万一一〇〇円を各二分の一である金二六六万五五五〇円宛負担したものというべきである。
(二) 逸失利益 金一八二五万二八二五円
(1) 亡春子は平成四年一月一五日に死亡したが、死亡当時満三歳で、一八歳から六七歳まで稼働できるとすると、逸失利益は次のとおりとなる。
<1> 平成六年度の賃金センサスに基づく女子労働者 産業計 企業規模計 学歴計の一八歳の平均給与の年収 金二一〇万四八〇〇円
<2> 生活費控除率 五〇パーセント
<3> 新ホフマン係数 死亡時三歳 一七・三四四
<4> 計算式
二一〇万四八〇〇×〇・五×一七・三四四=一八二五万二八二五円
(2) 原告らは、亡春子が有する右逸失利益の損害賠償請求権を、相続により各二分の一である金九一二万六四一二円宛取得したことになる。
(三) 慰謝料 合計金二五〇〇万円
(1) 亡春子の入通院慰謝料(死亡までの三年間) 金五〇〇万円
原告らは、亡春子の右慰謝料請求権を相続により各二分の一である金二五〇万円宛取得したことになる。
(2) 原告らの慰謝料
各金一〇〇〇万円
(四) 葬儀費用 金一〇〇万円
弁論の全趣旨によると、原告らは、右葬儀費用を各二分の一である金五〇万円宛負担したものというべきである。
(五) 弁護士費用 各金二五〇万円
三 結論
以上のとおりであって、原告らの本訴請求は、被告に対し、不法行為又は債務不履行に基づく損害賠償として、それぞれ金二七二九万一九六二円及び右各金員に対する本件不法行為後の昭和六三年一一月二五日から右各支払済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから、右の限度でいずれも認容し、その余の請求は失当であるからいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九二条、八九条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 三浦 潤)
裁判官 小林昭彦、裁判官 山門優はいずれも転補につき、署名捺印することができない。
(裁判長裁判官 三浦 潤)